2016年03月31日

「グロテスクな日本」




 「グロテスクな日本」とは、桐野夏生の小説「バカラ」を中心とした毎日新聞(夕刊)の文芸時評の表題である。(新聞の見出しは、「現在」の危機 グロテスクな日本の姿)

 今の日本を評して「グロテスク」と捉えることには違和感があるかも知れないが、奇妙な明るさの中で、何が正義なのかがわからなくなってしまった政治、実態のない株などのわけのわからない金融によってリードされる経済、そして命や人権の大切さを説きながら、不当に老人や子供の虐待が増えている社会の捻じれなど、社会のあちこちで人間的なぬくもりや手触り感がなくなって、のっぺりしていて湿ったざらざらした感じ、そういう社会にわれわれは立たされていることを言い表している。

 以前だったら「閉塞感」や「重苦しさ」がこの日本を覆っているとでも表現されていたが、今、2016年の始めはそれらの感情の上にのしかかるような重石がかぶさる様に、何か恐怖に似た不安を伴った感情の中で、「グロテスク」とでも言いようのない状況の中に人々が置かれていることを示している。
 
 ひとつは、もちろんあの福島の現状がこのような状況を作り出している。大震災及び原発事故後5年たった今、福島以外でのあの時の感情はほぼ消え去った感がある。あの時はそれこそ日本全体に福島と自分の身を分けるような感情は少なかったように思う。被災者に対する同情を超えて連帯する気運が社会全体にみられたが、今は福島は福島という地理的条件に閉じ込められている。同情を超えた感情が同情に代わり、そうすることによっ福島は取り残される。オリンピックを控えて、福島を同情という心理的機制をとおして忘れ去るということである。日本全体に大きな衝撃を与えた福島の現状は、今の「グロテスクな日本」に関係がないとはいえない。

 第2は、日本全体を覆う新自由主義的な空気である。格差是正が与野党通じての課題だが、社会全体がますます効率を求める勢いは格差を広げるだけであり、教育の格差、所得の格差、業種間の格差はますます広がっている。日本の失業率はほとんど完全雇用の状態に近づきつつあるが、政府の掛け声にも関わらず、非正規の雇用が増えるだけである。非正規の雇用が増えるということは、労働の効率を高めるということであり、それがまた非正規雇用が増えるという関係にある。完全雇用が実現した暁には、非正規雇用が大部分を占めるといった笑えない事態が近づきつつあり、それがすべての格差の大きな要因であることは間違いない。

 福島の現状、新自由主義の浸透は、日本の危機を端的に表している。


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posted by 阿Q at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

イデオロギーについて




 イデオロギーというと、マルクス主義や国家社会主義を思い出すと同時に、現代の社会はそういったイデオロギーとは無縁だということが言われている。が、今われわれの生きている社会でイデオロギーは無縁なのだろうか。

 その格好な例をぼくは最近の医学や科学にみる。医学の場合であれば、健康志向に伴い、極端に言えば医者の言うことは何でも正しいということを一般の人々は思い込んでいる。風邪ひとつとってもそのメカニズムが解明されているわけでもないのに医者に行けば治ると信じている。また、前にも書いたことがあるが高血圧もそうだろう。ぼくなどの年代ではほとんどが、血圧の上限140を超えたら降圧剤を飲まなければならないことになっている。医者に行けば、血圧測定だけで、血圧が高い原因などは聞かれずに無条件に降圧剤を飲まされる。血圧が高いという結果だけに特化して原因の方を探ろうとしない医者と、それを頭から信じている患者。これがイデオロギーでなくてなんなのだろうか。

 科学の場合は、イデオロギーというのにはもう少し入り組んでいて複雑である。しかし、例えば原子力に対する神話・・・2011年の福島で崩壊してしまったはずだが、ここにきて再び原発の再開が認められる状況になりつつある。福島の事故は事前の対策が不十分だったから、というわけである。不十分だったのはその通りなのだが、原子力という「科学の最先端」に対する信頼=信仰(?)がなければ、あれだけの事故が起きて数年で再開するということにはならないだろう。原子力という人類がかって見たこともないようなものを「科学的にコントロール」出来るという信仰がなければ出来ない相談である。あの事故以来、原子力に対する内省をわれわれは手にしているのだろうか。そこには科学に対するイデオロギーといっても良いような盲目的な信頼があるだけである。

 科学に関してもう少しみると、最近ロボットの進化(?)に伴って人口知能の研究が盛んらしいが、びっくりしたことがある。もう何年かすると、介護ロボットはもちろん様々な労働の現場で人口知能を搭載したロボットが人間の職場を侵食するというニュースは珍しいものではないが、その人口知能が近々人間と同じような感情を持つこと、そして人間の能力を完全に上回るということを研究者は本気で考えているらしい、ということである。確かに戦争でさえも無人のドローンが爆弾を落とし、自動運転の車が街中を走るのはそう遠くないらしい。そういう意味では人工知能の進化もわからないではないが、人間の、社会から影響を受ける感情、歴史的な感情、性的なものからくる感情などは、現在の科学の持つ範囲をはるかに超えているのである。むしろそれらを排撃してきたものこそ科学ではなかったのか。

 これらの科学=テクノロジーは無限に進化するという確信を、研究者をはじめ多くの人が共有しているとぼくはみている。多くの人は科学の進歩に対して楽観的である、というか、楽観的なイデオロギーが浸透しているともいえる。例えば、人間の労働の半数近くがロボットに置き換わるとか、自動運転の車が普及するとかの話は、ますます人間がいらなくなるということを示している。人間はしぶといからそう簡単にロボットに置き換わるとは思えないが、考えてみたら楽観的に考えること自体を考え直す必要があると思う。

 ぼくが不安に思っているのは、このようなイデオロギーが浸透すればするほど、人文科学や社会科学に対する人々の関心が減少するということである。何ケ月前か、文科省が今後国立大学の自然科学以外の講座が少なくなるだろうといった意味の発言をしていたが、それは一つの現れである。国の制度がなくなるのは構わないが、科学を批判的に相対化する、つまりはイデオロギー化している「科学」を批判的に見る視点が社会からなくなることは、より大きなリスクを社会が背負わなくてはならないのでないか、とぼくは思う。 

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posted by 阿Q at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月30日

トップセールス




 安倍首相が最近の外遊時に「今はトップセールスの時代だ」とインタビューに答えていたことが印象に残っている。確かに中国の周近平国家主席なども、外遊時に何百人の経済人を引き連れてトップセールスを盛んに行っていることは周知の事実だが、成熟した先進国である日本の首相がこういう言葉を吐くと若干違和感を禁じ得ない。

 何もトップセールスが悪いわけではないが、国会をないがしろにして「トップセールス」と言われても、「政治」に対して日本という国は何を考えているのかということを思ってしまうのは私だけであろうか。これに関して半世紀も前の池田首相が欧州を訪問したとき、確かフランスだったと思うが、「トランジスターのセールスマン」と揶揄されたことを思い出した。高度成長期の日本のトップを欧州がどう見ていたかが伺えて興味深いものがあるが、恐らく安倍首相の言葉はそれを自らが肯定し、混乱の続く世界に対して自国の「経済」しか興味がないことを示したことになる。それ以上に、恥かしげもなく「セールス」と言ってしまうことに、安倍政権のあるいは日本という国の<貧しさ>を思う。
 
 「経済」が大事ではないということではない。食うや食わずの人が世界中で何億もいるという現実で「経済」を考えない国家などは非現実であろう。だが自国の「経済」だけが潤うというのもこれまた非現実である。グローバルな世界の中で相互に依存しあう構造にあっては、一方的な「セールス」は帝国主義的な新たな支配が生まれるだけである。こうした「セールス」に対して安倍政権及び日本全体がどこまで自覚的か疑問だが、今のところ報道する方もそういう問題意識はなさそうである。「セールス」は原発であろうが、新幹線であろうが、結局は売上が上がって自国の経済が潤えばいいじゃないかと。

 阿部首相が世界に目を向けることに反対はしない。日本のマスコミも同じであろう。しかし、世界は会社でいう「顧客」あるいは「消費者」とは違う。歴史が違い、宗教が違い、イデオロギーが違い、地政学的な位置づけも違う世界は、単純に「顧客」や「消費者」とは違う。もちろんそんなことは百も承知で「セールス」という言葉を使っているのかも知れないが、いつのまにかわれわれは、外交の場で「セールス」という言葉に慣らされることによって、世界が「消費者」や「顧客」と同じような一義的で・・・それはつまり世界を平板な見方からしか見ないことにつながらないだろうか。世界が混乱しつつある中で、「セールス」などの「経済」の言葉や行動で世界が動くと考えることは、あまりに楽観的である。

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posted by 阿Q at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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