2013年02月03日

笠井潔「8・15と3・11 戦後史の死角」を読む(3)・・・ニッポンイデオロギーの克服




 笠井は8・15を経て3・11に至った破局は、ニッポンイデオロギーを克服しない限り、今後も何度でも起きるだろうと言う。「敗北必死」や「自滅的な戦争」という認識を決定的に欠いた結果の8・15、戦後はその8・15の反省をし教訓化せずにひたすら「対米従属」路線による平和と繁栄を築いた結果の3・11の底流には、ニッポンイデオロギーの精神構造が強固に存在するというのである。

 世界史の終わりにも近代科学の終わりにも無自覚だったニッポンイデオロギーは、世界史を批判する歴史意識の不在と、科学精神とも無縁でないエンジニアリング的な制作意識の欠如を複合化しながら、8・15の破局を3・11で無自覚に反復することになる。

 破局的な原発事故がなぜ起きたか、その責任はどこにあるのかをあいまいにして、なし崩し的に一部再稼働を決定し今後も廃止という決定は成されていない。それは8・15と全く同じ構造であり、反復を繰り返すのは、われわれの精神の底流に日本固有の何かが連綿と流れているとしか考えられない。それを笠井はニッポンイデオロギーと呼ぶ。過去丸山眞男や和辻哲郎などの日本文化論の論理から抽出した概念と同じである。「奴隷である事実を隠蔽し忘却することで実際的に、あるいは理念的に保身をはかるという絶妙の自己欺瞞のシステムが、日本文化の基底には埋め込まれている」というのが、笠井のニッポンイデオロギーである。

 奴隷の弁証法はヘーゲルが述べたことだが、笠井によればニッポンイデオロギーの場合は奴隷という事実さえ忘却することによって隠蔽してしまうことになる。支配されているということさえ忘れてしまえば、「はじめから自分たちが主人と思いこめば、屈辱にまみれることもレジスタンスを戦う必要もなくなる」。このような精神からは容易に「なし崩し的」「無責任」「無思考」「惰性」などの心性に向かうことは類推できる。

 戦後日本の「平和と繁栄」対米中従属を前提としてきた。世界内戦の二一世紀をわれわれが生き延びるという点で、反原発は尖閣列島や、普天間基地やオスプレイ配備のような切迫した外交問題とも無関係ではない。自由を抑圧する権力としての原発にかんしては、戦争など例外状態を構造化した二一世紀社会(例外社会)の問題とも関係する。

 このような「例外社会」化した二一世社会を生き延びるためにも、われわれは笠井のいうニッポンイデオロギーを再度考える必要があると思う。戦後何度か「日本人論」がはやったことがある。それは弱小国である日本が世界に認めてもうらうためにどのように振る舞うかという問題意識を踏えていたが、今考えなくてはならないのは日本社会が「生き延びるため」である。その意味では「切迫」した問題意識だといえる。

 笠井はニッポンイデオロギーを克服するためにいくつかのヒントを挙げているが(例えば、親鸞思想の今日的意義を明らかにした『日本的霊性』の鈴木大拙の宗教思想など)、本書の紙数の関係から包括的には扱われていない。笠井はその気になれば、「『ニッポンイデオロギー』克服のため死闘を重ねてきた日本人の思想の系譜を洗い出すことができるだろう」とさらりと述べているが、笠井に期待すると同時にわれわれ自身の課題でもあるだろう。

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posted by 阿Q at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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