2013年01月28日

笠井潔「8・15と3・11 戦後史の死角」を読む(2)・・・「ゴジラ」の再襲来




 「ゴジラ」の映画はほとんど見ていないが、笠井の(あるいは加藤、赤坂の)「ゴジラ」に対する解釈はうなずけるものがある。例えば、なぜ「ゴジラ」が皇居を踏みにじらなかったのかの解釈の説明は、あの「ゴジラ」が悲しそうな顔をしてすごすごと海へ帰っていった映像を憶えているものにとって、腑に落ちるものである。象徴としての「ゴジラ」は、福島の原発事故を経て今ようやくわれわれに理解可能になったといえる。少なくともぼくにとっては、国家と向き合わざるを得ない福島の原発避難民と「ゴジラ」は重なって見える。

 笠井はその「ゴジラ」が、60年の歳月を経て日本に再上陸したのが3・11ではないかと解釈する。8・15を正面から向き合わずに、ひたすら「ニッポンイデオロー」を温存したままアメリカに従属した日本の戦後に対しての怒りが1954年の最初の上陸だったが、3.11はそれが忘れ去られた頃である。

 ゴジラが踏み潰したのは、戦後復興がほぼ完了した時点で日本人の多数派が選ぼうとしていた、対米従属と引き替えの「平和と繁栄」、戦死者の忘却の上に築かれだろう「第ニの戦後」の支配理念である。

 「戦死者の亡霊」は、同じことを二度と繰り返してはならないという警告を込めて、想像上の東京を踏み潰した。しかし日本人はゴジラの警告を無視して、対米従属による「平和と繁栄」の道を突き進み、二〇一一年三月一一日に第2のゴジラ襲来を迎えてしまう。今度こそ、われわれはゴジラの悲痛な警告を聞きとらねばならない。それが戦争犠牲者に、そして3・11の犠牲者に報いる唯一の道ではないか。

 笠井は8・15と3・11の連続性についてこうも書いている。

 ニッポンイデオロギーが必然的にもたらした二つの破局、8・15と3・11は、たんに並列的に存在しているわけではない。「終戦」の歴史的な結果として福島原発事故は生じている。8・15を真に反省し教訓化しえなかった日本人が、「平和と繁栄」の戦後社会の底部に3・11という災厄の種を蒔いた。これこそ戦後史の死角である。3・11という破局的な体験が意味するものを真に了解するには、8・15で切断されたように見える戦前日本と戦後日本の錯誤を明らかにしなければならない。

 戦後史の死角・・・これこそが3・11が突きつけた本当の意味である。戦争の後、その意味を突きつめて考えなかったツケをいまこそ清算しなければならないのではないか。笠井とともにそう思う。
(この項続く)
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posted by 阿Q at 13:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
すみません。おっしゃる事はよく分かるのですが、阪神大震災のことはすっかりお忘れになったのでしょうか。たぶん、風化しているのでしょうね。まだまだ、阪神大震災の後遺症は終わっていないのですが。

ゴジラは3・11以前に1・17に神戸に上陸したのではないのですね。
Posted by ふー at 2014年05月01日 13:10
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