2011年01月22日

大卒内定率最低に対する感想(4)・・・本当の意味での実学を目指して

 一連の大学新卒内定率の低下の報道を見ていて、「学校」と「社会」の隔たりは大きいなという感想を持った。特に学生の就職に対する行動を見ると、いわゆる大企業中心の就職志向が強く、それが内定率の低下に繋がっているという。それは見方を変えれば、「職業」に対して学生たちが、リアリティーを感じていないということではないかと思う。何が何でも大企業ということは、「職業」に対する欲求が薄いということを意味しているのではないか。もし「職業」に対する明確なイメージを抱くことが出来れば、「会社」中心の就職行動は違ったものになるはずである。

 また一方で会社側から見ると、どうも学生を偏差値だけで見ている節がある。よく優秀な学生を採りたいということをいうが、その優秀さとは偏差値らしい。らしいと書いたのは、会社側としてはまさか偏差値で選びましたとは言えないだろうから建前でしか言えないだろうし、マスコミの報道でもそこまで突っ込んではいないが、何となく行間から伝わるものがある。

 かくして、一連の報道が大変だと騒いでいる割には、「優秀」な学生がちゃんと大企業や有名会社に入り、そうでない学生は就職できないという、何となく茶番劇みたいな様相を呈している。ただ、現実には前回の就職氷河期に見られるように、多くのフリーターや非正規の社員を生み出すことになるのだから、社会全体としてそう暢気には見ていられないはずである。

 このような「学校」と「会社」の”隔たり”は、やはり高度経済成長で確立され1973年の石油ショックで政策的にも公認、強化された企業内人材養成の雇用システムに遠因がある。「新しい労働社会」の濱口圭一郎はそのあたりを次のように記述している。

 学校で具体的に何を学んだか、何を身に付けたかは就職時に問題にされず、偏差値という一元的序列で若者が評価される社会がやってきました。教育の職業的レリバンスの欠如したシステムです。 

 教育の職業的レリバンス(意義)の欠如、これが今回一連の大学生の就職内定率の低さ、そしてこれからもそれが続くであろう問題を解くキーワードだと思う。濱口は教育社会学者の本田由紀の「若者と仕事」(東京大学出版会)を引用しながら次のように言う。

 本田氏は一九九〇年年代以来のフリーターや無業者の増加の一つの要因としてこの職業的レリバンスなき教育システムを指摘し、厳しい労働市場の中で若者がなんらかの専門性を身に付けること、そのためにすべての高校を長期的になんらかの専門高校に特化させることを提唱しています。(新しい労働社会) 

 ここでは高校のことを言っているが、大学も同じである。いやむしろ大学こそ専門性を身に付ける場として必要なのではないかと思う。前にぼくは本ブログで大学の実学志向を批判したことがあったが、それは短期的な技能でしかない実学のことであって、本当の意味での、長期的な視野に耐えられる実学を身に付けることは賛成である。いや今後絶対に必要だと思っている。

 
 今、企業は長期雇用制度(終身雇用制度)、年功賃金制度(年功序列制度)を核とする日本型雇用システムが厳しいグローバルな競争環境の中で変更を余議なくされつつあると感じている。恐らくここ数年で一気に変わる可能性も出てきた。それは、企業内人材養成の雇用システム自体も縮小することもあり得ることを意味し、その一環としての新卒の一括採用も、建前は維持するだろうが、一層少なくなるのは確実だと思う。そういう中で、現在のようなマスコミの捉え方では悲観論しか出てこないだろう。

 今必要なのは、大学も学生も本当の意味での実学を身に付けるのにはどうすべきかを考えるべきである、と思う。
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posted by 阿Q at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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