2010年05月03日

開かれたジョブへ(2) 新しい労働社会・・・雇用システムの再構築へを読む(4)

 日本の雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくメンバーシップにあるというこの本の定義は、いままで実感としては感じていた日本の雇用問題に対して有用な発見(?)である。

 ただ、著者である濱口も重要な留保として付け加えているのは、メンバーシップのシステムが適用されるのは正社員だけだ、ということである。もっと付け加えなければならないのは大企業の正社員、それも主に男子だけだということである。さらにこのメンバーシップは高度成長によって確立したものであり、日本の労働社会に昔からあったものではない。

 従って、最近とみに増えてきた非正規の労働者はこのメンバーシップに入れない仕組みになっている。これらのことを考えるとメンバーシップという考え方は意外と射程の短い考え方だと言えるかも知れないが、現在の様々な問題を説く作業仮説の様なものと考えれば、非常に有用である。

 僕などは、今でも会社が個人をメンバーシップの一員として縛ることに対しては生理的に嫌悪の念を持っているが、それは極端として、新卒の若者が入社試験の面接で嫌がらせを受けたようなことを聞くと、正直同情する。相手はメンバーの候補者として選ぶわけだから、当然私生活やら何やら職業能力とは関係ないことを聞くわけでメンバーシップということからすると、会社側の論理も理解できる。メンバーシップの論理が強ければ強い会社ほど、例えば嫌がらせ(?)が多いのではないかと思う。そういう意味で有用であるというわけだ。

 実はこのようなメンバーシップが適用されるのは、労働者全体ではほんの一部にすぎないのではないか。先ほどの大企業の男性正社員だけだということからいうと、ほんの数パーセントかも知れない。ほんの数パーセントにすぎないのに、日本の雇用問題の代表的な考えというのも変な話である。そこに日本の雇用問題を考える時のネジレがある。

 そのネジレは脇に置いて、大部分の労働者は実はメンバーシップから外れて職務(ジョブ)契約だという事実は、今後の日本社会を考える時にある面では自由さを感じる。もちろん現実の職務(ジョブ)は、「単純労働的」(本書 序章17ページ)であり、もちろん長期雇用制度も年功賃金制度も、ましてや企業組合もない。要するに劣悪な労働環境にある。

 ある自由さを感じるというのは、企業に縛られない生き方が出来るということである。生き方が出来るとサラッと書いたが、本当はとても難しいことは最近の貧困の問題を考えるとわかる。ただ、今後日本の,あるいは世界でも同じだが、企業社会を少しでも展望することが出来るとしたら、人員の削減は必至であり、今後も今までのような企業社会が維持できるとは到底思えない。そういう状況を考えると、個人で生きていくしかないのではないかと考えるのである。そしてそれは、歴史的にみてもそう例外ではないのではないかと考えている。

 最近NPOに勤めてみて感じたのは、意外と個人で様々な職業を持って企業と折り合いをつけながら生きている人が多いということである。主にコンピュタ関連の技術を持っている元技術者とか、NPOを自分で創業している人とか、環境問題とか労働問題に詳しい人とか、いわゆるSOHOをやっている人とか、臨時に企業に雇われている人とか、多彩な生き方をしているが結構いるのに驚いた。生活は裕福とはいえないみたいな人が多いが、誇りを持って生きているこのような人達をみていると、今後の日本にひとつの希望が生まれる。

 そういった人に共通しているのは、ジョブ(職務)である。それぞれの人が、それぞれのジョブ(職務)を持っている。

 今回も少し長くなってしまったので、続きは次回にする。

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posted by 阿Q at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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