2015年08月29日

安倍政権の思想について




 安保法制の論議やその後のごたごたを見ていて、ようやく安倍政権の「思想」が明確になりつつある。当初はどうも欧米などが指摘しているように極右政権かなと思っていたが、典型的には先日の70年談話が示しているように、ナショナリズムにもとづいた右翼思想は安倍思想の主要な核ではない。むしろ、談話を見る限り大戦後の戦後レジュームに忠実に従っているようにさえ思う。ただし注釈がいる。いわゆる「脱亜入欧」である。談話ではアジアのことは触れてはいるが、その視点は欧米の進んだ資本主義社会から遅れているアジアを見下すような視点である。「戦後レジューム」+「脱亜入欧」、ここれが安倍政権の思想である。

 さらに重要な点は、小泉政権から引き継いだ「新自由主義」が安倍政権の核に濃厚にみられるということである。いわゆる「新自由主義」とは「市場経済」の社会全体への形式の一般化だが、言い換えると市場経済の、社会への徹底化である。安倍政権の政策をみると、原発も教育も社会保障も、沖縄の基地移転、東北の復興でさえもすべて市場経済のため、経済合理性のためだけに政策が組み立てられているように思える。そこにはナショナリズムも、安倍首相がいう「美しい日本」もむなしく響く。
 
 つい最近も「女性が輝く社会」政策の一環として女性管理職の割合を企業などに義務化する「女性活躍推進法」が参議院で可決されたが、これなどその典型である。成長戦略の一つということだが、単に女性管理職の比率が高まることだけで成長戦略に貢献するとは思えないが、成果主義にみられるような数値によって経済合理性を評価することは新自由主義の本質でもあるのだ。

 新自由主義が資本主義の徹底化=浸透の結果であるとすれば、それは安倍政権だけの専売特許ではない。安倍政権が依然として支持されているのは、新自由主主義が一内閣だけの思想ではなく、われわれの思想として浸透しているからに他ならない。サラリーマンの「成果主義」、教育の「偏差値」などはすでにわれわれの生活の中に、それほど抵抗なく入り込んでいる。それによってどれほどの人が苦しんでいるかに関わらずである。安倍政権はそのことを徹底化しているにすぎない。すべての生活が経済合理性の世界で構築されつつあるというのが、ぼくの見方である。 
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posted by 阿Q at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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