2015年06月30日

「腹をくくる」第9条の意義




 ギリシャの債務不履行問題が大詰めを迎えて、何やら「世界」やら「国家」や「歴史」が身近になってきた気がしている。変動の予兆を感じる。日本でも、これら世界の変化と直接の関係はないが、安保法制が憲法学者による違憲表明から急激に世論の変化が起き、これらの世界の変動と歩調を合わせようとしているように見える。

 安保法制はもちろん、安倍総理が云う様に世界の変動と無関係ではあり得ない。むしろ安保法制を進めようとしている安倍内閣は積極的に世界の動きを意識し適応しようとしているといえるだろう。問題は、憲法第9条の意に反して戦争を準備していることによる。第2次世界大戦において国家はもちろん国民の大部分が徹底的に壊滅的な経験をした日本が、軍備による活路を再度見出そうとしているのである。安倍内閣は軍備による活路に幻想を持っているのである。

 憲法第9条を持つことによって、「絶対に(他国から)攻められないという確証はなく、ここから出てくるのは絶対に安全という論証はない」(樋口陽一「いま、憲法は時代遅れか」2011年)のだから今国会で論議されているように、「安全」か否かということ、つまりどこまで自衛隊が武装したら良いのかとか、どこまで自衛隊が出動したら良いのかというような議論はあまり意味がない。第9条は樋口が云う様に「他国から攻められない、あるいはこちらから攻められると疑われないという、それだけの前提を満たす努力が必要」なのだ。つまり、第9条は軍備を持たないことによるリスクを敢えて取る、言い方を変えれば変動する世界の中で「腹をくくる」ことで、世界に誇る日本を示すことなのだ、とぼくは考えている。そこまでの覚悟が、戦後、戦争の反省に立ち憲法を受け入れたときの日本人のコンセンサスではなかったか、と思う。
 
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posted by 阿Q at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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