2014年10月31日

漱石の「それから」




たまたまというか、AMAZONで電子書籍を買ったので,そこに無料で配信されている漱石の「それから」を再読した。再読といっても以前読んだのは40年前ほどの昔だから、ほとんどはじめてのような感じで「それから」を読んだことになる。

 今回驚いたのは、漱石がこの「それから」を書いた今から100年前以上の、舞台となった東京の雰囲気が、今の日本の雰囲気にまるでそっくりではないかということである。漱石が朝日新聞に書いたのは1906年(明治39年)からだから、日露戦争が終わった翌年である。日比谷焼打ち事件などがあって、明治維新以来ようやく列強の仲間入りを果たし、世界に対して胸をはって国威を発揚したような時代である。

 昔読んだ時には、主人公の代助の「高等遊民」という意味がいまいち理解できなかったが、上記のような時代背景のなかでなぜ漱石が「高等遊民」を主人公に設定したかがわかった気がする。以前は「それから」を明治の高尚な恋愛小説として読んでいたので、いわば「高等遊民」を貴族主義的なものとしてのみ理解していたのかも知れない。貴族の恋愛・・・よくあるテーマである。

 前に読んだ時には、その、社会に対する微妙な距離感が理解できなかったのである。今回再読してわかったのは、漱石が日露戦争後の日本という国、社会に対して明らかに距離を置いていたということである。その距離を主人公代助の「高等遊民」という役割で表現したのである。

代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱することなしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、ニ十世紀の堕落と呼んでいた。さうして、これを、近年急に膨張した生活欲の高圧力が道義欲の崩壊を促したものと解釈していた。又これを此等新旧両欲の衝突と見做していた。最後に、此生活欲の目醒しい発展を、欧州から押し寄せた津波と心得ていた。
 この二つの因数は、何処かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧州の最強国と、財力に於いて肩を較べる日の来る迄は、此の平衡は日本に於いて得られないものと代助は信じていた。


 残念ながら、「財力に於いて肩を較べる日」はとっくに日本はなっているにも関わらず、その心性は漱石が嘆いた100年前とほとんど変わっていない。40年前から世界第二の経済大国に既になっていたにも関わらず、である。恐らく、漱石の時代も、また太平洋戦争後の高度成長時代、そしてバブルの弾けた現代も、日本という国は常に「背伸び」をして世界に伍していこうという精神、漱石はそれを「近代」に急かされた日本の精神として捉えたからこそ国民作家となり、古典として日本人に読み継がれる作家になったのだろう。「それから」の代助は、その優れた批評的精神の象徴である。誰でもが無意識に批判的に考えていながら、意識的には「急かされた」日本を肯定する。
 
 「高等遊民」は、極東の貧しい日本においては一種の理想であった。そしてそれは漱石のような鋭敏な知性のみが感受できる理想である。その証拠に「財力に於いて肩を較べる日」がきても、あいも変わらず「急かされた」生活を送り、その挙句閉塞感に常に悩ませられている。日本全体が何かに急かされ、狭い、実験室のような閉塞感の漂う空間のなかで、同じ目標を追い回すラットのように、現代の日本で、「高等遊民」は生きていけるのだろうか。
ちょっとでもなるほどと思ったら、クリックをちょこっと。
       
blogram投票ボタン

人気ブロ

グランキングへ 




 
posted by 阿Q at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。