2014年08月30日

新自由主義という言葉(3)




 オルド自由主義、およびアメリカの自由主義が新自由主義の源流であるというフーコーの説は、共通の「敵」、ケインズ理論によって担保される。つまりケインズから発展する「統制経済、計画化、国家介入主義、全体量への介入主義」に対する敵対が2つの自由主義に共通するものであり、そこに新自由主義の本質をフーコーが見抜いているからである。それは18世紀以来の自由主義がケインズ理論に遭遇したことによる歴史的な必然だともいえる。

 ではそもそも自由主義と新自由主義の違いはどこにあるのだろうか。フーコーは自由主義と新自由主義で最も違う点を「競争の原理」の違いに求めている。

 自由主義の根本原理は、有名なアダム・スミスの「自由放任」である。これは「市場は自由で完全な競争しか機能できない以上、国家は、そうした競争状態を変容させるようないくつかの要素を独占や管理などといった現象によって導入しないよう気をつけなければならない。」(1979年2月7日講義)つまり市場経済の論理的帰結、政治的帰結は、「自由放任」によって成立するという考え方である。この考えの基本には、市場経済における競争は自然である、従って国家はその競争を変容させるようなことをしてはならないということである。

 それに対してオルド自由主義は、「競争」が自然であるという考え方を真っ向から否定し、競争から帰結する「自由放任」も従って必ずしも自然なものではないとする。

市場を組織化する形式として競争の原理から、自由放任を引き出すことはできないし、引き出してはならない。(中略)それは、市場経済から自由放任の原則を引き出すとしたら、それは結局、自然主義的素朴さと呼びうるもののような内部に依然としてとらえられたままになるからだ。。」(1979年2月7日講義)

 そもそも競争とは何であろうか。それは決して自然の所与などではない。競争は、その作用、そのメカニズム、そしてそこで標定され価値づけられるそのポジィティブな自然の現象などでは全くない。(中略)競争、それは一つの形式化の原理である。競争は一つの内的論理を持ち、自らに固有の論理を持ち、自らに固有の構造を持つ。。」(1979年2月7日講義)


 本質的な経済論理としての競争は、注意深く人為的に整備されたいくつかの条件のもとでしか出現しないし、その諸効果を産出しないでしょう。すなわち、純粋競争は、際限なく能動的であるような政策を前提とする一つの目標でなければならないし、そのようなものでしかありえないということ。競争は統治術の歴史的目標であり、尊重すべき自然の所与ではないということである。。」(1979年2月7日講義)


 ここに新自由主義の18世紀以来の自由主義との違いがすべて言い尽くされている。つまり市場は決して「自由放任」されるべき対象ではありえないし、さらに「市場ゆえに統治しなければならない」という原則がはじめて確立されたというべきであろう。積極的自由主義=介入する自由主義としての新自由主義。

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posted by 阿Q at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月20日

新自由主義という言葉(2)・・・新自由主義とは何か。




 新自由主義とは何かについてきちんと定義されている文献は恐らくあまりないだろう。その中で比較的定評があるのが、ミシェル・フーコーの「生政治の誕生」(コレージュ・ド・フランス講義論集)のなかのオルド自由主義とアメリカの新自由主義の分析である。フーコーの分析は1978年のことだから30年以上も前である。その時点ですでに「新自由主義」に注目していたわけだから、フーコーが「知の巨人というしかない」(笠井潔)という感想も納得がいく。もっとも、フーコーの場合「規律社会」の次の社会、「生」を管理する新たな社会を展望する中で「新自由主義」を見出したわけで、フーコーのそれまでの仕事と無関係とはいえない。フーコーは云う。

 そうした諸問題(生政治という現象により提起された問題・・・引用者注)を、それらがその内部において出現し深刻なものとなった政治的合理性の枠組から切り離すことはできないように私には思われた。その枠組とはすなわち、「自由主義」である。(講義要旨)


 フーコーのいう「新自由主義」の起源は第二次大戦後に誕生したドイツのオルド(オルドとはオイケンというドイツの新自由主義の経済学者が創刊した雑誌の名前、ラテン語で秩序という意味)自由主義にある。なぜドイツなのか。それを問うことの内に「新自由主義」の核心がある。

 フーコーによれば、オルド自由主義の創設はドイツのナチス体験にある。戦後の再出発にあたり、国家の制限を保障しながらかつ国家の存在を可能にするにはどうすれば良いのかの検討から始まった。恐らくナチスの苦い体験から将来の国家像を探る問いがここにはある。この問いは次のような問いを可能にする。

 経済的自由が、どのようにして、一つの国家を基礎づけると同時に制限できるのか、一つの国家の保障となると同時に担保となることができるのか、ということです。こうした検討にはもちろん、自由主義の学説におけるー経済理論としての自由主義よりもむしろ、統治術あるいは統治の学説としての自由主義におけるーいくつかの根本的要素を練り上げ直すことが必要です。(1979年2月7日講義)

 統治としての自由主義、これが戦後のドイツが採用した「新自由主義」である。統治としての自由主義とは一体何なのだろうか。ドイツの新自由主義達がナチスを、イギリスの自由主義を、あるいはソビエト連邦、アメリカのニューディール計画(これらに共通しているのはいずれもケインズである)を分析した結果から、新自由主義を次のように定式化した、とフーコーは述べる。

 国家によって規定され、いわば国家による監視のもとで維持された市場の自由を受け入れる代わりにー経済的自由の空間を打ち立てよう。そしてそうした空間を国家によって限定させ監視させよう、というのが、自由主義の最初の定式でした。オルド自由主義者たちが主張するのは、この定式を完全に反転し、市場の自由を、国家をその存在の始まりからその介入の最後の形態に至るまで組織化し規則づけるための原理として手に入れなければならない、ということです。つまり、国家の監視下にある市場よりもむしろ、市場の監視下にある国家を、というわけです。(同)


 驚くべき考えと言わざるを得ない。われわれは今でも、経済政策をはじめさまざまな政策をまさに「政策」というように、政治がいわば国家が市場、つまり経済を牛耳るという考えに慣らされているが、ここでは「市場の監視下にある国家を」というように完全に主客が逆転しているのである。そしてフーコーはこの主客転倒が「新自由主義」の核心であるとしているのである。

 現在の新自由主義において重要なこと、決定的なことを、まさしくここに位置づけることができるように思われます。(中略)問題となっていること、それは、市場経済が、現在あらゆる場所でいろいろな理由によって誰もが[その]欠陥を警戒しているものとしての国家に対して、実際に、その原理、形式、モデルとして役立ちうるのか否かということです。(中略)問題は、ただ単に経済を自由にしておくことではありません。問題は、政治と社会に形式を与える市場経済の力がどこまで拡張されうるのかを知ることです。(同)

 フーコーはまさに「賭けられているもの」はここにあるのだと強調している。「賭けられている」もの、それはつまり「市場経済は実際に国家に形式を与え社会を変革するのだ、あるいは国家を変革して社会に形式を与えるのだ」ということである。ここにおいて、いよいよ「新自由主義」の核心中の核心、競争の原理の説明に入っていく。「競争の原理」は何も「新自由主義」だけの専売特許ではなく、自由主義でも「競争の原理」は自由主義の本質としての自由放任の中核の原理である。しかし、「新自由主義」者たちはこの「競争の原理」に自由主義とは根本的に違った解釈を施したのである。ここで初めて「新自由主義」が誕生したといって良いだろう。それについては次回に書くことにしたい。
(次回に続く)

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posted by 阿Q at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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