2014年07月30日

「新自由主義」という言葉(1)





 1990年代以降を定義して新自由主義という呼び名が定着しているが、この新自由主義という呼び名が何を意味しているかは、明確ではない。一般的には資本主義の徹底化とみて、良いイメージとしても悪いイメージとしても捉えられている。それが果たしてどういうことを意味しているかははっきりしていない。企業人などは、古い体質の企業文化を批判するスタンスから新自由主義の浸透をポジィテブにイメージしている人もいる反面、資本主義のマイナスイメージ、格差の拡大といった状況からネガティブに捉える人もいる。

 なぜ新自由主義という言葉が、例えば帝国主義のような一義的に明解に捉えられていない(この場合は悪い意味でイメージされているが)のだろうか。

 ひとつは、新自由主義の前の資本主義の形態である「自由主義」自体が、あまり明解でないということがある。自由主義がはっきりしていないのに新自由主義が何なのかがわからないというわけである。自由主義という主義は、資本主義の形態から見た場合、重商主義のあとに続くイギリスとアメリカぐらいしか歴史的にはみられないというのが定説である。いわゆる市場に対して国家の介入が少ない資本主義の形態を自由主義として定義しているが、確かにイギリスや特にアメリカなどは、日本に比べると国の規制は少ないといのは何となくわかる。よく日米交渉などで日本の規制撤廃を求める動きが話題にあがるが、そいういう意味なのだろう。

 もうひとつは、「自由」が何を意味しているかがはっきりしないことも影響している。よく言われているように日本語には「自由」という言葉しかないが、英語ではFreedom とLibertyがあり、政治的な意味での解放(Liberty)と内面的な意味(Freedom)がわかれている。日本ではどちらかといえば内面的な意味に重きを置いて自由が捉えられてるので、難解になってしまうのではないかと思う。自由主義や新自由主義の自由は、国家からの解放という意味で捉えるべきであろう。

 要するに、新自由主義が果たして良いのか悪いのかは日本ではよくわからない。安倍首相は特にリベラル側から靖国参拝にみられる国家主義的と批判されるが、その場合の安倍さんは自由主義や新自由主義ではなくその真逆を批判されているわけだ。一方では安倍内閣は新「自由主義」と批判されることもある。この場合は、国家主義の反対の資本主義の徹底としての新「自由主義」が批判されているのである。安倍首相の政策には両面あるようにみえるので、国家主義あるいは反国家主義両方から批判されているのである。

 ここで疑問が残るのは、では自由主義と新自由主義とではどう違うのかということである。ぼくはとりあえず、新自由主義を資本主義の徹底ではないかと定義して使ったが、それでいいのだろうか。次回はその検討をしてみたい。

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posted by 阿Q at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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